書籍・雑誌

2016.09.18

読書の秋

 秋だから、ってこともなく、本は日常的に読んでいるんだけれど、久しぶりに読んだ本の紹介。

Yamaonnnanikki Hatigatunomuikakan

 本屋で、山登りへの気持ちをソワソワさせられてつい買ってきた文庫本が二冊。

 『山女日記』湊かなえ 幻冬舎文庫
 『八月の六日間』北村薫 角川文庫

 表紙が似ている。でも、表紙の絵が語るように、『山女日記』の方は、女性主人公を替えながら彼女たちが山に登る姿を描いた話。一方、 『八月の六日間』は、一人の女性主人公によるいくつかの山行の話だった。

 『山女日記』は、目指す山が替わり、登場人物が替わっていく連作だけれども、少しずつ共通点を持たせる工夫があって、読んでいて(どう繋がるのかな)というちょっとした謎解きみたいな楽しみもあった。山登りの話だけれども、やっぱり登る人の話。それぞれに人生があって、それぞれが山に向かっていく、みたいな感じ。登ったことのある山、行ったことのない場所、色々な山が紹介される。自分としては、ニュージーランドのトンガリロに行ってみたいと思った。

 『八月の六日間』は、山行を重ねて変わって(成長して?)いく女性が描かれる。彼女が選んだルートや、持ち物リスト、山で読むためにと選んだ本などが書いてあり、あ〜なるほどねぇとか、そうなんだぁとか、勝手に楽しめる。自分が登ったことのある山・登山道を思い出しながら、読み進められた。そういう意味で、やっぱり登山が好きだったら、興味深く面白い本だな。文庫本の解説に、北村薫氏が「山に登らずに書いた」ということを明かしていて、へぇ〜そうなんだと思った。

 通勤電車の中で読んだ二冊だけれど、旅に(山に)持って行ってもいいんじゃないかなと思った。

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2008.08.06

夕凪の街 桜の国

Yunaginomachi

 こうの史代・作。双葉社。「テロに屈しない。」という言葉を聞いて、それっていったい何だ?と思っていた。憎しみが憎しみを呼び、殺られる前に殺ってしまえと平気で思える風潮の中で、僕らは生きているんだと気付かされてハッとした。・・・・。
 第9回手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催)の新生賞に選ばれた、「ヒロシマ」を描いた漫画である。8月6日なので、再読してみた。大切な人を、もっと大切にしたくなる、そういう「普通の感覚」の漫画だ。
 幸せな人にも、迷っている人にも、心がガサガサしてしまっている人にも、ぜひどうぞ。

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2008.01.27

生物と無生物のあいだ

Seibutsuto

 『生物と無生物のあいだ』福岡伸一・著。講談社現代新書。昨年のベストセラー、と言うより、やはりタイトルに惹かれて読んでみた。
 「生命とは何か?」という問いかけへの、一つの答えはまず冒頭、プロローグの中で述べられていた。「それは自己複製を行うシステムである」と。・・・なるほど、(子を産むか産まないかに係わらず)遺伝子という自己複製システムを持つことが、生物と無生物とを分かつ指標となるわけだ。
 それで本書は、遺伝子の本質であるDNAの正体を、分子生物学者達がいかにしてつきとめたのかを、わりと長々と、過去の研究者達の伝記を綴るかのようにして紹介していく。そのため、いくつかの書評を見てみると「タイトルに裏切られた」とか「内容は高校で学ぶ生物程度」等の酷評も見うけられた。・・・むべなるかな。自分も、読み進んでいて「あれ?」という感想をいささか抱いた。
 それでもこの本を投げ出さなかったのは、物語としての流麗な文章に引き込まれ、あるいは研究者達の賞レース譚にワクワクさせられ、あるいはニューヨークやボストンの街並みを思い描く楽しみに惹かれたせいだった。この本はぜひ、高校生くらいの若い人達にこそ読んで欲しい本なのである。科学書というよりは、研究物語として。美しい日本語を楽しむ本として。例えば、こんな文章はどうだろうか?

 よく私たちはしばしば知人と久闊を叙するとき、「お変わりありませんね」などと挨拶を交わすが、半年、あるいは一年ほど会わずにいれば、分子のレベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである。

 また例えばこんな文。

 この振動こそが、ニューヨークに来た人々をひとしく高揚させ、応援し、ある時には人をしてあらゆる祖国から自由にし、そして孤独を愛する者にする力の正体なのだ。

 必ずしも美しい日本語の例とは言えないけれど、こんな感じで楽しく読み進められる文章だった。
 などと感じつつ読み進めていくと、物語の方も終わりに近づく。そこで自分は、筆者が「生命とは何か」という問いかけのために用意した次なる答えに、少なからずハッとさせられたのだった。(・・・ここではその答えとは何か、書かない方がいいだろう。)
 もし、生命とは?の問いに対して、「自己複製を行うシステム」という答えが一つきりだとしたら。例えば、近未来において、自己複製プログラムを組み込まれたロボットが次から次へと自分を製産していったとして、そのロボットは生物と言えるだろうか?(ホンダのロボットASIMOは自分で充電しに行くというから、もしASIMOが自己複製プログラムを手に入れたとしたら、壊れることがない限り生き続ける生物と言えるのか?)
 そんなことをぼんやり考えていた時に本書の終盤に示されていたことが、筆者の新たな答えなのだった。
 実は自分は、脳の手術を受けたことがある。それは、単純に言えば切って貼ってというような外科手術だった。けれど、部品を新しい物に交換すればそれでいい、ということで済む話ではなかった。そしてそこの所が、自分の「生物」としてのメルクマールだったのだと、この本によってあらためて気付かされて、なんだかちょっぴり感動してしまった。(たぶん、わかってもらえる人は少ないかな・・・。)

 生命とは何か。答えはたぶん、誰もが漠然と思い描いてはいる。けれど、上手く定義づけるのはなかなか難しいし、本書がその問いを解決し切れているかと言えば、そうでもないのかもしれない。見つかっているけれど見つからない答え・・・。そんなことを思って、そうしてそれで、なんだかいい本だったなぁと、思った。

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2008.01.21

買った本。読んだ本。

 本屋さんに、ぶらり入るのが好き。あの作家は新しい本を出しただろうか、とか、山関係の雑誌は今どんなのが出ているのだろうか、とか、あちこち見て回って、それでやっぱり手にとって欲しくなって、買ってしまったりする。・・・あ〜またやっちゃった。同じ文庫本を買って来ちゃったよ。買ってきた本は、たいてい暫く(そしてわりと多くはずいぶん長いこと、)読まないままで置いておく。本屋で手にとって、読みたい!と思った情熱はどこへやら・・・。手元に置いておくと安心するのかな、と自分を分析してみるが、バカなことをしたと後悔するのはいつものこと。
 先日、それをやってしまった本は、石田衣良の『てのひらの迷路』。衣良さんは(テレビでしばしば拝見するあの優しそうな感じも)好きな作家だし、川端康成の「掌の小説」に触発されたというところも、さすが衣良さんと思ったし、とにかく短編集だから読みやすそうとか思って、買ってきたんだな。(だったらさっさと読めば、って感じ。)はい。明日から電車の中で読みます。うちに2冊になったこの文庫本、一つ欲しい人いませんか?

 それから、さっきまで読んでいた本のことをちょっと。
 『生物と無生物のあいだ』という本を読み終えた。面白かった。タイトルから予想していた内容とは、あれれちょっと違うかな・・・と思いながらも読み進んで、最後になんだか目の覚めるような啓示を与えてくれた(と言ったら大げさかもしれないけれど・・・)。ちょっと、後でまた感想をまとめてみよう。美しく、上手い文章で書かれた、自分にとっては良い本だった。

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2007.12.03

JOY Winter

Joywinter 久しぶりに、「ヤマケイJOY」を買ったよ。今年は、雪山なんて出かけられないかなぁ・・・と思いつつ。てか、買う決め手となったのは、付録に、畦地梅太郎のカレンダーが付いていたから
かな。畦地梅太郎の版画、好きなんだ。(決して、表紙の女の子が可愛かったから、というわけではありません。・・・で、誰? 小林千穂って・・・。)

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2007.11.10

読書の秋ってことで。

 まず、タイトルとは関係ないことですが、風邪っぴきです。・・・なんか、急にわぁ〜っと、流行りだしたよね、風邪。さすがに寒くなったせいか、自分の周りでは風邪をひいている人、多いです。気を付けましょう。  今週末は、風邪っぴきだし天気も悪いし、で、うちにいたし(ていうか、最近はあんまり山に出かける気にならない?)そうだ、読書の秋だし本でも読もう〜!と、買っておいた本をバラバラと並べてみる。・・・並べるだけかよ!  本って、本屋さんに寄って(これ読みたい!)って思ったら、わりと手を出して買っちゃうんだけれど、まったくの「積ん読」で、本は溜まる一方。・・・けど最近は、行き帰りの通勤電車の中でも、必ず本を読んでいる。先日は、つい夢中になって、下りるべき駅を乗り越しちゃって、慌てたよ。(遅刻せずにすんで、よかったよかった。) Hantowodeyo その時読んでいたのが、こちら。『半島を出よ』村上龍(幻冬舎文庫)。荒唐無稽な近未来のお話しだけれど、手に汗握る展開に夢中になった。北朝鮮の反乱軍が福岡に上陸して日本から独立する?というお話。'05年の単行本が、この8月に文庫化されたので、ようやく手に入れたって思い。物語は2011年の話なので、本当にすぐ先のことになったね。こんなことはありえないだろ〜と思いつつも、ちょっと色々と考えもしたのでした。 Suiyounoasa 『水曜の朝、午前三時』蓮見圭一(新潮文庫)。これは、本屋さんに行くとよく「お薦め!」とのポップコピーを目にしていたので、買っていて、ある日気が付いたら、二冊も買って来ちゃっていて、さすがに読まなくてはいかんと、これからまず読もうとしている本。本当に二冊あるので、欲しい人いますか? Alpe 『アルプ 特集 串田孫一』山と渓谷社。これは単行本だし、各方面の山の関係者による(串田孫一氏に関する)随想集のようなものだから、電車に持ち込んで読むというよりは、家にいて、好きな時に気の向いたところから読もうかな。この本のことを教えてくれたのは、はっちゃん(宮田八郎氏)で、はっちゃんの文章(「映像で描く串田さんの言葉」)も載っている。まずそこから、読まなくちゃね。 GenyaByakuyakou それから、『半島を出よ』も二分冊の大作だったけれど、秋にはじっくり分厚い本もいいかなぁとか思っていたら、友人(ゴディーちゃん)から薦められたのが、『白夜行』と『幻夜』東野圭吾(集英社文庫)。彼女が、「『幻夜』面白いよ。というか『白夜行』を読んでから読むと、面白いよ。是非!」なんて言うもんだから、二冊挑戦してみるけれど、・・・どちらも文庫本にしては分厚いじゃないですか! でも、すぐ読めちゃうんだって。年が替わるまでには、はたして読み終えるのかなぁ・・・・。  皆さんもよかったら、お薦めの本とか、教えてください!

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2007.05.18

邂逅の森

Kaikohnomori

 大正から昭和初期、秋田の貧しい山村に、マタギ達は暮らしていた。この物語は、その中の一人「富治」の、まさに波瀾万丈の人生を描いたエンターテイメントだ。筆者、熊谷達也はこの作品で、山本周五郎賞と直木賞とをW受賞したそうだが、直木賞受賞にふさわしい小説の醍醐味を充分堪能させてもらえる作品に仕上がっている。
 主人公の富治の溢れんばかりのエネルギーは、やがてその若さ故に、村を追われる原因を招くこととなる。その後、彼は炭坑での労働を強いられることとなるのだが、いろいろあって、やはりマタギとして生きていく選択をする。その間、様々な人との出会いも上手く絡み合う伏線となって、やがてクライマックスである、マタギの仕事を辞めるべきか否かを山の神様に教えてもらう壮絶な場面へと収斂されていくのだった。
 前半部分では、マタギとはどういう人達でどういう仕事をしているのかを、丁寧に説明してあって興味をかき立てられた。そして一気に読ませるクライマックスは、(「まるで『老人と海』だ。」という評のあるとおり、)まさに圧巻だった。
 物語に書かれてあった様々なことを考え合わせてみると、豊かになったはずの私たちの今の暮らしとは、本当に豊かなものなのだろうか、という思いがしてくる。人生には騙し合いもあれば深い絆によって結ばれることもあるのだなぁと、眠っていた?五感を刺激されたりもする。大人の作品であって、山の神に祈ることや自然に感謝すること、そして人を信じること等と併せて「生き抜く意味」を考えさせてくれる作品だった。 

 ところで私は、こんなマタギ達の暮らしていた秋田・阿仁町とはどんな場所なのか知りたくなって、この間の連休にのこのこと秋田まで出かけてみた。そこには、マタギ資料館というものが、ひっそりと建っており、寂れた過疎の村という印象はぬぐえなかった。実際、マタギだけで生計を立てていける人は、もう残っていないのだろう。山村の過疎化と、「マタギ」という一つの日本の伝統の消滅とは一体であると肌身に感じた。マタギ資料館には、「山立根本之巻」という巻物(マタギの首領だけに代々伝わる秘伝書。)が展示されていたが、この秘伝書が次世代に渡らずここにあるということこそすなわち、マタギの伝統が途絶えたことを物語っているのだった。
 大正14年の狩猟法の改正で、ニホンカモシカが狩猟獣から保護の対象になったという。(昭和9年に天然記念物に指定され全面禁猟、昭和30年には特別天然記念物に。)そのことでマタギ猟の対象はツキノワグマに移り、また、平成5年には白神山地が世界遺産に登録されたことによって、登録地域は禁猟区となり、狩猟を続けていたマタギ達も山のガイドに転進せざるを得なかったという事情もあるようだ。現在、狩猟によって仕留められるクマの数よりも、駆除獣として殺されるクマの方がずっと多いという話を聞いても、人間が自然の中で自然と共に生きていくこととは、どういうことなのかなと、複雑な思いになったりもする・・・。
 『邂逅の森』の登場人物の一人(富治の弟分、小太郎)が、こんなことを語っている。「こんな山の奥に、これだけでけえ街があって、欲しいものはなんでも揃っていてよ、麓にはないような電灯の明かりまでが点いているってこと自体、何かが間違っているように思えてならねぇ。人間てのは、お天道様と一緒に生きていくべき生き物だって俺ぁ思うんだ。」
 街での生活はどんどん便利になる一方で、私たちにとって大切であったはずの生活は辺鄙な里へ追い遣られ、やがて日本の伝統の一つが消えていく・・・。と、街にすむ自分が何を言っているんだろうか。
 熱い気持ちにもさせてくれる、読みごたえのある小説だった。
 『邂逅の森』熊谷達也・著。文藝春秋社。文春文庫版あり。

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2006.04.05

流星ワゴン

Wagon

 重松清・著。講談社。「死んじゃってもいいかなあ、もう……。38歳・秋。その夜、僕は、5年前に交通事故死した父子の乗る不思議なワゴンに拾われた。そして──自分と同い年の父親に出逢った。時空を越えてワゴンがめぐる、人生の岐路になった場所への旅。やり直しは、叶えられるのか──?」
 裏表紙のこんな文句に誘われて、文庫本を手に取った。そして自分のこととも重ね合わせて、まるで自分も流星ワゴン号に同乗している気になって、ぐいぐい引き込まれながら読み進めた。・・・人生の岐路ってどこだったろうと考えてみたり、自分と父親との関係のことを想ったり・・・。
 読後に感想などを話しながら、頼りない言葉を吐いていると、ペチペチと頬を叩いてくれる人がいた。そうだよなぁ、どんなに考えても、人生はやり直せない。てか、やり直すものではなくて前へと進んでいくもの、自分で築いていくものなんだ。そんな当たり前のことを、改めて気付かせてくれる物語でもあった。
「本の雑誌編集部が選ぶ年間ベスト10」で、2002年度のベスト1に選ばれた本。さすがに傑作だった。今回は講談社文庫版で読んだ。

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2006.02.01

Tou

 沢木 耕太郎・著。新潮社。今さらだけれど、沢木耕太郎の『凍』を読み終えた。あわせて、塾長のお薦めのとおり、『垂直の記憶』も読み直した。(本当は、アコンカグアに出発する前に読了したかったのだけれど、いろいろとバタバタしていたので、ついダラダラと読んでしまった。)
 読んでいて、特に関心を惹かれたのは、極限状況での山野井さんと妙子さん(と言うより、主に妙子さんの方だけれど。)夫婦の描写だった。全くスケールは違うけれども、自分も妻を山に連れて行って、その時にはたしてお互いがどれだけ命を預け合えるのかなぁとか、考えてみたりもした・・・。カエちゃんは実際に、ネパールで山野井夫妻(その頃はまだ結婚はしてなかった?)に会ったことがあるそうで、その時、妙子さんを見て、まったく普通の人とは違う何かを感じたとか。
 傷ついてもなお、山野井さん達お二人が、また新たな山登りに挑戦し始めたことに、頭が下がります。
 『垂直の記憶』の中で山野井さんは、「山で死んでもよい人間もいる。そのうちの一人が、多分、僕だと思う。」と言っているが、ギャチュンカンからは彼は立派に生還してきた。・・・まだまだ、これからですよね。

 

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2005.06.23

永遠の仔

Eiennoko

 天童荒太・著。幻冬舎文庫。以前、母さんに「あんたもこういう小説でも読みなさい。」と言われたことがあったのを思い出した。読み進めながら、母さんはどういう思いであの時あぁ言っていたのかなぁと、ふと思ったりした。
 読みごたえのある、名作だった。読了した時、実はアラスカ鉄道の座席にいたのだけれど、ボロボロと泣いてしまっていたりした。・・・。自分もやっぱり、永遠の仔なんだと思う。文庫版の終わりには、筆者、天童荒太氏の丁寧なあとがきがあって、それを最後に読んで、彼の文学への真摯な取り組みにもまた、心打たれた。
 決して爽やかじゃぁない。むしろ、生きることの苦しさを思い知らされる小説と言うべきか。けれど、ぐるんぐるんと渦巻く「生」への衝動に突き動かされて、足を前へと踏み出す勇気の湧いてくる小説だった。

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