雑感

2008.12.14

心が痛い。

 東金の幼児殺害事件で、12月6日に容疑者が(死体遺棄容疑で)逮捕された。
 事件が起きたのは9月末のこと。幼い子が殺されて無惨な姿で遺棄されていたというショッキングな事件に、小さな子を持つ親として、幼い子へ向けられた狂気に憤りを覚えると同時に、一日も早い犯人逮捕を願っていたところだった。
 亡くなった女の子は、もっともっと生きたかったろうに・・・と思うと、ただただご冥福をお祈りするばかりである。また、親御さんの悲しみに思いを致せば、こちらも心が痛むばかりであった。
 最近こんな(力や立場の弱い者を、暴力で支配したり傷付けるという)事件ばかりだ。被害にあった子ども達は還らないだけでなく、犯人が捕まらないことも多くなった気がする。こんな事件が、起こってはならない。こんな事件を起こす社会であってはならない。そして、犯人は許せない・・・。少し前までは、そう思っていた。

 東金事件の容疑者は、養護学校の卒業生であることを知った。
 そのことは、今、特別支援学校に勤める自分にとって、二重のショックとなった。学校の関係者もそうである。今回の事件に、皆が心を痛めている。・・・痛ましい事件に怒り、憎むべき犯罪に憤りながらも、事件を未然に防げなかったことに、他人事ではなく動揺している。被害に遭われた方のことを思いながらも、容疑者の青年がなぜこのような事件を起こしてしまったかと、今さらだけれど、心痛している。

 今まで「養護学校」と呼ばれていた学校は、特別支援教育の理念のもと、2007年4月から「特別支援学校」と名称が変更された。じゃぁ、特別支援ってのは、いったい何だ。例えば、知的に障がいのある若者の住む世界を特別視し、どんどん高い壁を作って隔離することが特別支援、じゃぁないだろう。もちろん、手も足も出さずに心を痛めるだけなのも、何の支援でもあり得ないけれど。
 容疑者の青年に情状酌量を、と訴えたいわけではない。ただ同時に、「また障がい者による犯罪かよ」といった偏見を持つことも、どうかしないでいただきたい。できれば、なぜこのような事件が起きたのかを、私たちの社会の問題として、皆で真摯に考えてみたいと思った。

 東金事件のような、こんな事件が起こってはならない。こんな事件を起こす社会であってはならない。その思いは、変わらない。

 追記。
 事件に関して様々なことが話題にされ、Web上にも流れている。その全てに目を通したわけでも出来るわけもないのだけれど、杉浦ひとみさんという弁護士の方のブログでのご意見に、私は共感を覚えた。

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2007.12.02

瑠璃色の地球。

 11月の末、我が家に待望の赤ちゃんがやってきた! 「待望の」・・・そう、赤ちゃんは、自分もカエも40才を過ぎてからの、初めての子どもだったから。
 そもそも自分たちは結婚が遅かったので、まぁ子どもが出来ればいいけどなぁ〜・・・くらいに、はじめ俺は考えていた。しかし、カエの方は少し違っていたようだ。やはり、高齢出産ということを考慮すると、すぐにでも子どもは欲しかったのだろう。彼女は、結婚して一年もたたないうちから、不妊治療ということを考えたのだ。
 え?・・・。という思いが、俺の正直な反応だったろうか。まだ、自然に任せていても良いんじゃないの?と戸惑う俺と、さっそく病院に通い出して治療を始めたカエとの間には、どこかちぐはぐな認識のズレみたいなものがあったかもしれない・・・。
 その頃ちょうど、代理出産によって授かった子どもの出生届に関して、最高裁の決定が下されるという出来事があった(07年3月23日)。その決定では、代理出産という「民法の想定していない事態が生じており立法による速やかな対応が強く望まれる」と指摘はする一方で、東京高裁が品川区に下した出生届受理の命令は認められないとして、東京高裁の決定を破棄したのだった。この裁判は、タレントの向井亜紀さんが起こしていたということもあって、様々なメディアによりとりあげられ、同時に、不妊治療や代理母出産、ひいては生命倫理の問題に関する様々な議論がなされたりもした。そうして自分も漸く、自分自身の問題として、不妊治療について正面から真剣に考えなくてはと思うようにもなったのだった。

◎子どもを欲しいと思うのは悪いことか?
→間違ってはいない。
◎自分は子どもが欲しいのか?
→子どもができれば、さらに楽しい暮らしになるだろうとは思う。
◎欲しいものは手に入れるべきか?何でも手に入れられるのか?
→お金を積めば何でも手に入るというのは、それはそういうものではないと思う。今の暮らしのままでも満足しているし感謝もしている。ただ、可能性があるなら挑戦してみようというのは、山ヤの信条とも、悲しい性とも言えるものかもしれない。
◎不妊治療を続けるとして、どのステージまで進むのか?
→・・・・。

 そして、本当に幸いなことに、俺らはこの07年4月の初めに、子どもを授かったことを知ったのだった。不妊治療はまだ初歩の段階だったけれど、さてこれから先はどうしようかとも、考え始めていたところであった。だから、命を授かった奇蹟には、誰にということもなく「ありがとう」という感謝の気持ちでいっぱいだった。実際、俺らは評判を聞きつけては、子宝神社のようなところへお参りにも行った。また、自分たちはたまたま、自分たちに合った不妊治療の病院・医師と巡り会えたのかもしれないとも思った。(病院によっては、治療に来る患者さんをまるで「子どものできないダメな女性」として扱うようなところもあるということを、口コミで聞いてたりもした。)
 子どもを作る作らないは、夫婦の個人的な生き方の問題のはずだ。また、子どもが欲しくても様々な理由で叶わない人もたくさんいらっしゃる。そうした方達が対峙せざるをえない社会の冷たい壁のようなものを、一瞬だけれど垣間見たような気がする。やはり日本という国には、まだまだ偏見や差別がたくさん残っているのだなぁと感じた、妊娠判明までの治療期間だった。

 さてここで、話題をちょっと替えるとしよう。日本のJAXA(宇宙航空研究開発機構)が打ち上げた月周回衛星「かぐや」が、11月になって「地球の出」のハイビジョン撮影に成功したという知らせが入ってきた。NHKのTVニュースでもその映像が流れていたので、記憶に鮮明に残っている人もいるだろう。(ところで「地球の出」という現象は、月の周りを回る衛星からのみ見られるものなのだそうだ。つまり、実際に月面に立つ人には、地球はほぼ同じ位置に動かずに見えるので「地球の出」を見ることはできないのだとか。なるほどねぇ。)
 宇宙は、限りなく真っ暗闇の世界である。月にはもちろん大気はないので、月の空も常に真っ暗だ。その、真っ暗な空の中、荒涼とした月の地平線の向こうから、一つの青い星が昇っていく・・・。この、青い星は、なんて綺麗なのだろう・・・と、その映像を見ていて自分は思った。と同時に、「かけがえのない」という言葉が、頭に浮かんでもくるのだった。真っ暗な宇宙空間に浮かんだ、かけがえのない青い星、瑠璃色の地球。今のところ、見渡す限りの宇宙空間にあって、生命の宿っているとわかっている星は、この地球だけなのだ。なんだか寂しいようにも思えてくるし、なんて不思議なことだろうとも思う。そして、この星に宿った命とは、かけがえのない家族なのだとも思えてくるから不思議だ。「地球の出」の映像を見て、皆さんはどんなことを思ったろうか・・・・。

   自分とカエとは、ご存知の方もいるだろうけれど、この、俺のHP「すべての高い山に登れ」を通じて知り合い、付き合いが始まった。はじめ俺らは、webというバーチャルな世界で挨拶を交わし合うくらいの友人だった。俺と知り合う前のカエは、派遣の仕事をしてお金が貯まればネパールへと旅行しに出かけ、また帰ってきては仕事をし、資金ができればヒマラヤへとトレッキングに行くというような、ちょっと変わった女性だった。(もちろんカエも俺のことを、「ここにも変わった奴がいる!」と思って見ていたわけだけれど。)
 ネパールなどでトレッキングをしていた時にカエは、シェルパ達がそうしていたようにお守りの石を持って山や谷を歩いていたそうだ。それは、ラピスラズリという青色の石だった。ラピスラズリは、最も古いパワーストーンの一つとしても知られていて(古くは、ツタンカーメン王のマスクの装飾品にも使われていた。イタリアのルネサンス期には、メディチ家の紋章の図柄に描かれてもいる。)幸運を招く石ともされているものだとか。
 日本では、ラピスラズリは、古くから「瑠璃」と呼ばれてきた貴重な石だった。

 初めての子どもに、俺らは「瑠璃」と名付けることにした。俺らの星、瑠璃色の地球が、これからも青く美しくありますようにという思いも込めて。かけがえのないものへの、感謝の気持ちとともに・・・。

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2006.09.12

9.11から、5年・・・。

 あの日、TVの向こう側で起きている出来事を、俺はどんなふうに見ていたっけか。確かあの日、「ニュース・ステーション」の久米宏は夏休みで、渡辺真理の孤軍奮闘ぶりをビールでも飲みながら眺めていたように思う。あれから、5年。番組は終わったし、ニュース番組に彼女の姿もないなぁと、ふと思った。
 5年間で、自分には色々な出来事があった。(最初の、アコンカグア登山。高山病と、それに続く入院・開頭手術。母の死。仕事を退職したこと。足の骨折。2度目のアコンカグア登山。ジョン・ミューア・トレイルの踏破。結婚。3度目のアコンカグアで登頂。マッキンリー登頂。そして、再就職。)それは、人生を180°、いや360°(?)変えるような出来事たちだったと言えるかもしれないな。色んな意味で、生きていることへの感謝と、それを不思議に(だから大切に)思う気持ちも忘れないでいようと、あらためてこの9.11という日に、そう思った。。「9.11」の犠牲者は、約3000名だとか・・・。それぞれに、様々な人生があったろうに。・・・・
 「9.11」事件以来、ある意味世界はどんどん窮屈になってしまった。一概には言えないけれど、アメリカが、戦争を止めない影響は大きいと思う。イラクへ派兵された米軍人の死者は、何人になったのだろう。2003年正月からの、戦争によるイラク民間人の犠牲者数は、4万人を超えたという。(NGO「イラク・ボディーカウント」の調べによる。)
 昨日、車を走らせている時に、カーラジオで何とはなしにこんなことを聞いた。・・・イラクでは、4万人もの民間人が殺されたという現実に関して、「それに比べりゃ日本は平和だよねぇ〜。」と言う人がいるけれど、その平和な国日本では、年間で、3万人以上もの自殺者を出しているという異常事態が起きているのだ、と。

 それで憂鬱な気分になったのを晴らしに、というのではないけれど、俺は、ミニスカートを履いたキャンペーン・ガールのお姉ちゃんに会いに、わざわざ高尾の山までビールを飲みに行く。
 自分は、少しも立派な人間じゃぁないんだよ。・・・・なんとか、今日も生きてる。

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2006.04.13

記憶って何だろう。

 先日見に行った映画の原作本『博士の愛した数式』(小川洋子・著。新潮文庫。)を読み終えて、あらためて記憶って何だろうって思った。
 物語には、記憶が80分しか持続しない数学者の「博士」が登場する。博士は、自分のその特異な病気を認識するために(忘れないように)、背広の袖に「ぼくの記憶は80分しかもたない」と書いたメモを留めてある。たとえどんなに大切な人であっても、(買い物に出るとかで)会わないでいる時間があり、80分過ぎてしまって(買い物から)その人が戻った時には、博士にはその大切な人が初対面の人となってしまうのだ。・・・考えると、なんて悲しいことなんだろうって思ってしまう。大切な人との想い出を、何一つ重ねていけない人生だなんて・・・。
 自分も、物忘れのひどい時があるけれど(あは。)、覚えていたはずなのに〜・・・という感覚と、記憶がまっさらになってしまうのとでは、まったく違う。実は、自分は発作持ちで、(と言っても、今は発作は薬でほぼ抑えられているけど。)発作から意識が戻ってからの数分間に、記憶の抜けてしまった状態というのを経験したことがある。気が付くと救急車の中で、救急隊員に「わかりますか? お仕事は何ですか?」と聞かれても、わからない。(自分の勤め先を忘れている。てか、知らない!)まず、日にちがわからなくて、不安になる。けれどなぜか、自分の名前だけは覚えていた。それは、忘れているのとは違って、もっとなんて言うか、ホワイトアウトの霧の中を彷徨うような、真っ暗な夜に深い深い陥穽に延々と落ちていくような、そんな感覚だった。(自分の場合、記憶はすぐに戻ってきたけれど・・・。すぐに、と言うか、それはまるでパソコンが起動するように、少しずつ頭の中で電気信号が交わされていく瞬間だった。)
 自分が自分でいるってことは、そもそも記憶を積み重ねていくことでもあるんじゃないだろうか。全く記憶をなくしてしまったら、自分はただの生きる箱でしかないのでは? ほんの少しでも記憶を喪失してみれば、そういう不安に駆られるものだと思う。アイデンティティーとは、記憶の蓄積によって作られるものなのだろうかと。
 でも、『博士の愛した数式』を読んで、博士の病気を哀れに悲しく思うよりも、もっと、優しく愛おしい気持ちになれたのはなぜだろう。・・・人ってやっぱり、人と人との関係の中で自分を見つけ、自分を作っていくものなのかもしれない。
 『博士の愛した数式』。博士と、家政婦の「私」、そして私の息子(タイガースファンで、頭のてっぺんが平らなことから博士により「ルート」とあだ名された小学生。)の三人が共に過ごした日々の物語。映画と原作本とでは、少し内容が違っていたけれど、どちらもなかなか素敵だった。お薦めです。

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2006.03.31

ブログを作る意味を考えてみた。

 ニフティさんでココログのメンテナンスがあって、ユーザーの間では喧々囂々たる意見が飛び交っているみたい。それに合わせてというわけではないのだけれど、自分もブログの模様替えを、ほぼ一日がかりでやってみた。(たいした変更はないんだけれどね。)新年度だしってことで。
 ところで最近、自分がHPやブログをやってる意味って何だろうと、真剣に考えるようになっていた。ほんの数年前は、そうつまり自分がHPを作り始めた頃には、自分のしてきた冒険や山行のことを報告する場としてのHPの意味ってのが、確かにあったように思うんだ。・・・ところが今や、パソコンを持っている人の誰もが簡単にブログを作れ、通信環境も発達したので誰もが手軽にHPを持てるご時世だ。有り余る情報に溢れ、楽しく丁寧に作られたブログでいっぱいのWebの世界の中にあっては、自分の発信する情報なんて、クズみたいなものだ。・・・これからも自分がブログを発信し続けるとしたら、それはただ単に自己満足を形にして垂れ流しているだけではないだろうか。
 HPを作り始めた頃、自分には、会えなくなってしまった大切な人に向けて、今の自分はこんなふうに生きてますよって訴えたいんだ!というモチベーションみたいなものがあったと思う。あるいは(邪な考え方かもしれないけれど)、まだ会えないでいる、きっとどこかにいるであろう未来の大切な人(?)に向けて、自分の存在をアピールしていたのかもしれない。・・・・。でも今は、「すべての高い山に登れ」の愛読者?だったカエちゃんが隣にいる。じゃぁ俺は、俺のことをいったい誰に向けて伝えようとしているんだろう・・・。HPの掲示板に書き込みがなかったりすると、二人で「誰も書き込んでくれないね」などと話題にしてしまったり・・・。あれれ、何かおかしくないか? それでHPの掲示板は、先日廃止してしまった。
 このブログ、実は有料のコースで利用しているから、そろそろ潮時かなとも思っていた。HPの方も、ちっとも更新が進まないし。・・・ただ、そういう波って時々来るんだよね。もう辞めちゃおうかなって、考える時が。そんな時は、誰のためなのか、自分のためなのか、何かのためなのか、ちょっぴり立ち止まって頭を冷やそう。そうすればやっぱり結論は、継続は力なりってことなんだろうな。色々なことを投げ出してしまってきた自分だからこそ、ひしひしとそう思えるよ。
 楽しかったことも、山行も、共有できて、真っ先に報告できる人が今そばにいる。それなのにまだ、つまらないブログやHPをダラダラと俺が続けていくとしたらそれは2番目か3番目に大切な、あなたが、いてくれるからです。

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2006.03.01

「氷壁」評。

 NHKの土曜ドラマ「氷壁」がこの間の回で終わったので、あちこちでその評判を見て回ってみると、・・・ふむふむ、あれはどうもよろしくないよ、という意見もボチボチあるね。
 まず、井上靖の原作と、まったく違うじゃないか! という指摘が多いのかな。実は俺は井上靖の本を読んでないからね、何も語れないし、(かつての、前穂でのザイル切断事件のことは聞いて知ってるけれど。)だから単純にNHKドラマを楽しめた口です。井上靖のファンにしてみれば、思い入れのあるタイトルだろうから、あまりいじられたくはなかったのかもね。
 以前、TBSのドラマで「人間失格」というのがあって、そのタイトルが、太宰治の遺族からの抗議で「人間・失格」になり副題も付いたってことがあったっけ。でもあのドラマは、原作とか原案に太宰の作品を借りたのではなく、内容がまったく違うものだった。それ故の抗議だった。ところで、そもそも本や雑誌なんかのタイトルには、法律上の著作権はないのだとか。(詳しくはこちら。)ふ〜ん。「原案、井上靖『氷壁』」と表示したNHKは、むしろ親切と言うことか。(もちろん、原作を利用して視聴者の興味関心を惹き付けたわけではあるけれど。)
 もうひとつ意見が多かったのが、男にだらしない(?)美那子(鶴田真由)って、何なんだぁ〜というものだったかな。ふ〜ん。・・・これまた、毎回欠かさずしっかり見ていたわけではないから何とも言えないのだけれど、最終回だけを見る限りでは、美那子の生き方はあれしかなかったのでは?って思うんだ。 街の中で、車道を挟んで棒振りのアルバイトをしている奥寺(玉木宏)を見てしまった美那子のシーンになった時に、あぁ、かの女は別れを決意するんだなって俺は思ったよ。愛しているからこそ、そばにはいられないってことも、時にはあるのでは?・・・よくわかんないけど。奥寺は、逆に「山男が本気で人を愛したら、山をやめる。」というようなことも言っていたけれど。でも、美那子は、山を愛している山男を、愛してたんだよね。・・・。というような議論を、家ではしました。はい。
 結局、NHKさんとしては、ドラマの中では「ただの悪人は」誰一人として描かなかったとか。ふ〜ん、なるほどね。でも、一番大人だったのが、若い男に走った妻のことを、玄関に鍵もかけずにただ黙ってひたすら待ち続けていた八代(石坂浩二)だったよね。奥寺役の玉木宏と北沢役の山本太郎とは、最近頻繁にNECのコマーシャルで一緒に見かけるもんだから、あれれ?って思ってしまうね。はは。大人げないのは、NEC? NHK? それとも俺か。

あぁ、そうだ。今日は映画の日で、久しぶりに映画「博士の愛した数式」を見てきたよ。

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2005.11.29

人は走らずに、生きていけるものなのかどうか・・・。

 右足の踵と足首を骨折したのは、もう去年の夏の始めの頃だ。それ以来、走ってない。(電車に遅れそうになってちょっとだけ小走りになったことはあるけれど、そんな程度。)正確に言うと、走れない、のかもしれない。
 足首の下あたりを支えているのは、小さな細かいいくつもの骨で、それらが微妙に間隔を保って足の形を支えているらしい。骨折した時に、どうやらその骨と骨とが干渉し合ってしまったんだけれど(つまり、骨が、他の折れた骨に刺さったみたいな感じ。)上手く治らないと、後々痛いかもねと言われていた。その時、手術をして、うまい具合に骨と骨との間隔を離して金属プレートで繋いでしまえば問題ないと言われたんだけれど、またしても身体にメスを入れるのが嫌で、断ってしまったんだ。結果、骨折は治ったけれど、やっぱり、骨と骨とが擦れるような運動の後には、必ず炎症を起こして(?)痛くなるようになってしまった。例えば、富士山のように一気に長く下る時や、ガツンガツンと下る時、あるいは長い時間岩をよじって登るのも苦手。そして何より、走ること・・・。我慢できない訳じゃぁないし、一日二日経てば痛みはひくんだけれど、何にも煩わされずにワシワシと歩けた時があったものだから、変わってしまったんだなぁって思うんだ・・・。
 さてそこでだ。なにも山登りをしなくたって、人は生きていけるじゃないか、という意見もある。走らなくたって、人は生きていけるじゃないか。・・・って、どうなの? それ。
 山登りはひとまず置いといても、走れなくてもいいや、という気持ちになる自分が、なんだか嫌だったりした。その一方で、走らない方が、急がない方が、豊かな人生(?)を送れるんじゃないかなぁって気もしてきたり。例えば走るような状況って、たいていは時間に遅れそうな時だけれど、それは早起きすることや、そもそも時間に追われるような生活をしないことで簡単に解決することだし。・・・それじゃぁ、例えばひったくりを追いかけなくてはならない時は? 愛する人を助けるためにどこかへ飛び込んでいかなければならない時は?・・・・。
 人は走らなくても生きていけるものなのかどうか、上手く答えは出せないけれど、一つ言えることは、自由に走っている人を見ていると、羨ましいなぁ〜と思うこと。それで最近、自分の足にメスを入れてみようかなとも考え始めている。う〜ん、・・・足の中に金属片を埋めたりすれば、そこが凍傷になりやすくなるなんてことあるのかなぁ? そういうことも怖くて、躊躇していたりして・・・。

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2005.08.10

山と恋人と、どっちが大事なんですか?

 ちょっと前に、つきあい始めた人のことを報告していた飲み会で、友人のF原くんに、そう言われた。
 F原くんは俺より少し年下ではあるけれど、数年前に結婚し、可愛い娘さんもできて一児のパパにもなった。坂本龍馬を尊敬し、死ぬ時には前のめりで、なんて言ってはいるが、誰が見てもよき夫であり、頼もしい父親だ。そのF原くんに、そう訊かれてしまった。・・・・。どういう経緯でそういうことになったかというと、実はこの夏、一ヶ月ちょっとの長い一人旅(山行)を計画していると話したからだった。飲み会の席にいらしたT島先生からも、「平井さん、それは甘えだよ。」と、きついお言葉をいただいたのだった。・・・・。
 甘え、ていると、自分でも思います。はい。狡く言うと、甘えさせてもらえる人を、パートナーに選んだと言うか・・・。でも先日、「留守番、よろしく。」と軽い気持ちで言ってしまったら、彼女の目からポロポロと涙が溢れそうになって、ビックリした。・・・あ”〜〜、どう考えてもひどい男だぁ、俺って。
 それでもやっぱり、出かけていくんです、俺ってば。(カエちゃん、ちょっとの間、待っていてください。)それは、夢を追いかけるとかそういうことじゃぁなくて、今はそうやって生きるのが、現実の自分(自分の現実)だと思うから。

 F原くん、今同じ質問を尋ねられたら、俺はこう答えるよ。「山も恋人も、どっちも大事。」同じようにどっちも、じゃぁなくて、それはやっぱり、比べられないよ。俺は欲張りだから、どっちも大切で、失いたくはない。

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2005.07.10

幸せってなんだろうね。

って、そう君は俺に尋ねるけれど、なんて言うか、
そんなに難しいことじゃぁないよ。きっと。
・・・・。
ただ、こんなに混沌とした世界の中に生きていて、みんなを幸せにしてあげることは、なかなか出来ないかもしれないね。それが悲しくて、俺は泣いてしまう。
一緒に、泣いてくれる?

価値観の同じ人と、同じ場所に出かけて同じ景色を眺め、なんだか素敵だねって言えること。

そういうのって幸せかもしれないよって、山で出会ったご夫婦に教えられたんでしょ?
じゃ、ザックにお弁当詰めようか。

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2005.06.01

もう一つの「答え」。

 先日、ミヒャエル・エンデが書いた「インディアンの魂」に関する文章を紹介したら、ロビンさんが、とっても気に入ってくれたようだった。
 実は、この話には続きが、ある。案外、有名な文章なので、丁寧にWeb上で探せば、全文を載せてるサイトも見つかるよ。自分ももちろん、学校の授業で生徒に紹介したこともあるし、以前から全文知っているんだけど、全てコピーしちゃうのは、著作権的にどうなのかなって気がするので、続きも要約で紹介しよう。

 もう一つの「答え」もまた、文化人類学者の友人が、インディアン女性の口から聞いた言葉でした。
 友人が旅先で出かけた山の頂上にインディアンの村があった。その地方一帯には、山の麓一カ所にしか井戸がなく、村の女たちは毎日、半時間の坂道を下り、帰りは重い水瓶を肩にして1時間、山を登っていた。友人は、女たちの一人に尋ねた。「いっそ村ごと、麓の水源近くに移した方が賢明ではないかね。」女の答えはこうだった。
 「賢明、かもしれませんね。でも、そうしたら私たちは、快適さという誘惑に負けることになると思います。」

 ところで、そんなほのぼのとした(?)インディアンネタで僕らが盛り上がっている時に、時々拝見させてもらっている「極東ブログ」さんでも、「伝統社会的な人間は現代社会において心を病むものではないのか」という話題を取り上げていた。そこでは、ロイター発の記事から、「ネイティブ・アメリカンは、トラウマや健康にとって危険な後遺症を示すリスクの高い逆境のなかで生活している」という調査結果を紹介していた。なんだかちょっと、興味深い。はたして、魂が追いつかないのは、「伝統社会的な人間」の方なのか・・・。俺はなんだか、尺度の問題、のような気もしてきたよ。価値基準、というかね。・・・。
 話が難しくなってきちゃったので、逃げちゃおっと。
 ただ、こんなことを考えたのは、先日30日に、「もんじゅ」訴訟の最高裁判決が出て、「国の設置許可は違法ではない」という、住民側の逆転敗訴が言い渡されたからなんだよねぇ。こんなことだから、いつまでたっても魂は追いつかないし、僕らは、快適さという誘惑に負けることになるんだよ・・・。

 以下、17年前のエンデの予言(?)。

続きを読む "もう一つの「答え」。"

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2005.05.25

魂が、追いつかない。

 こうして僕らはせかせかと、毎日を慌ただしく生活している。今日も一日疲れたなぁとか言っちゃって、でも布団に入れば、明日が来ることを信じて疑わない。いや違う。信じても信じなくても、「どうか明日が来ますように」と祈っても祈らなくても、誰のもとへも明日はやってくるのは当たり前ということが、生きていく上で皆に平等に与えられた救いの一つであって、それは暗黙の了解のはずだった。明日がある・・・。けれどあの日、あの場所に集まった人達には、明日どころかあの日一日からが、プッツリと無くなってしまった。普通に家を出て、いつものように電車に乗り、けれどいつものようには、一日が始まらなかったのだ。例えばそれが、自分の身に起きても不思議でないことだから、胸が締め付けられるように苦しいんだ。僕らはなんだか、有無も言えずに硬い箱の中に入れられて、ものすごいスピードでどこかへと運ばれていた・・・。速いから、便利だから、そして結局、一部の誰かが儲 かるから。・・・。あれれ、なんだか、魂が、追いつかない。
 あの場所で、いきなり身体を失ってしまった魂たちも、きっとあの場所で、彷徨っているんじゃないかなぁと思う。
 ところで僕らは、今を生きている僕らは、魂が追いつくのを、ちゃんと待っているだろうか? 以前、ミヒャエル・エンデが元日の朝日新聞に寄せた文章に、 こんなものがあった。(以下要約。たしか昭和64年の元旦の新聞で、てことは平成元年だ。印象に残ったのでずっととっておいたんだ。その後、中学国語の教 科書に載ったのも見たことがあった。)

   中南米奥地の発掘に出かけた調査団が、荷物一式を携行するためにインディアンのグループを雇った。インディアン達は屈強で従順だったので、調査作業の行程は予想以上によくはかどった。ところが5日目になって、彼らはぷっつり足を止めた。無言で車座になって動かなくなったのだ。学者達は彼らを、叱りつけたり脅したりもしたが、お手上げ状態でとうとう諦めた。日程には大幅な遅れが生じた。・・・と、それから2日後、突然インディアン達は全員が立ち上がり、荷物を担ぎ上げ、予定の道を歩き出したという。
 ずっと後になって、学者グループの数人と、インディアン達との間にいくらかの信頼関係が生じてから、初めて一人が答えを明かした。「はじめの歩みが速すぎたのでね。」という答えだった。「わしらの魂が後から追いつくのを待っておらねばなりませんでした。」

 一人で立ち止まることは、難しく、勇気のいることかもしれない。言い換えれば、あまりに大勢で一緒になって突っ走っているものだから、もう止まりたくても止まれないというのが現実なのかもしれない・・・。魂が、追いつかないと思う。

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2005.02.07

それでも旅に出る理由。

 なんだか怖くなってきちゃった。そうしてやっぱり、足痛いし。・・・ダメだダメだ、ぐちぐち言うな。自分で決めたことなのだから。あいつは山をなめてるよって言う人もいるかもしれないけれど、わかってくれる友達もいるんだ。
 だから、帰ってこないとなぁ、ちゃんと・・・。でもその場所に立ったら、もしかしたら欲が出るかもなぁ。バカだし、俺。あの、空を見上げていた場所から、もう一度自分の足で始めてみないとって思うんだ。それが今回の旅に出る理由。

 忘れ物をとりに、行ってきます。

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2004.11.25

みつけたもの。

 春先の山行で落としてしまったものを探しに、鹿島槍ヶ岳へ行って来ました。
 東尾根の第二岩峰からザックを丸ごと、谷底に落としてしまったんです。友達も一緒だったので、その翌日すぐに、下から登り直して探してみましたが、ザックは見つかりませんでした。その時は警察に遺失物届けを出して、そのうち誰かがみつけてくれるかも・・・くらいに思ったりもしました。雪解けしたらもう少し下に落ちてきて、見つけやすくもなるかも、とも思っていたんです。
 夏になったら探しに行こうと思っていたのに、私は足を骨折して歩けなくなってしまいました。
 もう一度雪が降ってしまったら、たぶんしばらくは見つからなくなるだろうと思い、ようやく足が治りかけた今が、なくしたザックを探しに行く最後の機会だと思いました。
 大谷原の駐車場で車中泊し、朝から、この沢だろうかと思われる涸れ沢を遡上しました。ずいぶん上まで登ったような気がしましたがザックは見つからず、それどころか、はたして無事に来た道を下れるかどうか不安にもなって、捜索は断念しました。つまり、それはなんとなくわかっていたことだったんです。諦めるための行動。ただ、もう少し上に登ればもしかして・・・とつい気になって、ダラダラと登っていたのです。(おかげで下りは少々ヒヤヒヤしました。懸垂下降をしようにも支点をとれるような木がなかなかなかったからです。)
 それでもなんとか下ってきましたが、よくよく上から眺め回してみて、やっちまったぁ!と、思わず大声で叫びたくなりました。そもそも沢筋を間違えているかもしれない・・・。実を言うと、第二岩峰から落としたものがどの沢にたどり着くのかなんて、よく理解していないのです。それでもう一度、本谷に出て、もう一つ上の沢を辿ろうと登りはじめました。
 その時すぐに見つけたんです。そこはまだ、北股本谷なのかその支流なのかという場所で、谷の幅も広く大きな岩もゴロゴロとしている所でした。おそらく春先には、雪崩の先っぽが届くようなところでしょうか。
 それは岩の下に埋まっていましたが、青い人工物のようだったので目立ったのです。拾い上げて手に取ってみると、それはヤッケの一部でした。あの時自分が、暑いからとザックの中に突っ込んでおいたものと同じ会社の製品の一部でした。もしかしたらと思って辺りをさらに探してみると、今度は黄色いものの切れ端が見つかりました。それは、自分が持っていたテントの冬用外張りと同じ製品の一部でした。それが本当に、自分のものである確証はありません。けれどなんだか、自分は泣きながら、他に何か落ちていないかと、しばらくはその辺りをうろうろと探し回ったのでした。結局もう一つ、テントの切れ端を見つけました。それも、自分が使っていたテントと同じ製品の一部でした。
 思うに、自分のザックはもう、この大きな岩の下の土の中に埋もれてしまっているのです。形のあるまま残っているだろうなんて、甘かった。・・・。雪に埋もれ、雪崩とともに谷を下ってきたザックは、岩に押し潰され、破れ、ボロボロになって土の中に埋もれていったのです。きっと、コッヘルやカメラなど、重い物ほど土中に沈んで、二度と浮かんでこないのかもしれません。あるいは毎年、北股本谷に通ったら、少しずつでも何か拾い集めることが出来るのかもしれませんが・・・。

 東尾根で、ザックが落ちていった時のことをよく覚えています。大きなザックだったから、ゴロゴロと勢いよく、真っ白な雪の急斜面を小さな点になるくらいまでずっと長い間、滑り落ちていきました。あれはどうして、自分じゃなかったのだろう・・・。
 最近なんだか、倒れている自分を俯瞰で眺めている自分、という感覚を味わうことがあったりするんです。雪の斜面を落ちていくザックは、あれは自分だったかもしれない。・・・。そう考えると、自分の生き残っていることの不思議さを思ったりもするのです。
 ザックは還らなかった。自分はまた、山に戻れるのだろうか。

 家へと向かう車の中で、久しぶりにクラプトンの『PILGRIM』を聴きました。
 なぜだか涙が溢れてきて仕方がありませんでした。

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2004.08.29

ドーピングピック。

 日本人選手の大活躍で、大いに湧いたアテネオリンピックだったけれど、報道によれば今大会期間中のドーピング(禁止薬物使用)違反件数は、史上最多の24件だったそうだ。(競技外検査による失格や大会除外処分を含む。)そのうち、3つの金メダルを含む7件でメダルの剥奪があった。陸上男子ハンマー投げのアヌシュ選手は、その繰り上がるメダリストが室伏選手であったために、日本中から注目を浴びたけれど、さて皆さん、ドーピングの問題について、どれだけ身近に感じたことがありますか? 室伏選手もかわいそうだと思う。記録は記録だから金メダルは受け取らない、とも言えないだろうから。
 人間が何かを口にする限り、そして人間に(良い意味でも悪い意味でも)欲がある限り、ドーピングはなくならないと思う。今回の違反者急増の背景には、検査技術の精度の向上もあるとされているけれど、それならばと、また新しい薬が開発され、その薬品がまた新しく禁止薬品に指定される・・・。じゃぁいっそ、もうなんでもありにしちゃったら? メジャーリーグでは、賛否いろいろだろうけれど筋肉増強剤のドーピングで、マグアイアーはホームラン王を手に入れている。
 IOCがなぜドーピングを禁止するのかと言えば、答えは簡単、1つは健康によくないから。(実際に薬を使い過ぎて死ぬ選手もいる。けれど過度の練習で、亡くならなくとも身体を壊す選手はたくさんいる。スポーツは健康を維持し増進するためのものとは、一部のアスリートにとってはただの幻想か?)2つ目の理由。先進国の選手たちは薬物に手を出せるけれど、途上国の選手たちはなかなか手を出せず不公平が生じるから、だそうだ。(でもそれこそ、練習施設や環境の不公平の問題を、まったく棚に上げてしまっている。)
 ちょっと話はそれるけれど、黒鉄ヒロシ氏の漫画に「乙子園」というのがある。甲子園、ならぬ乙子園なのである。おわかりだろうけど、全国の高校野球で、負けた高校同士が対戦し、負け進んで行って(!)全国一弱い高校を決めるとういうギャグマンガだった。そこで、だ。弱い者ではなく、本当に何でもありの強い者を決めるという、ドーピングピックを開催したらどうだろう。みんな、眼球は異様に黄色かったり、女子選手などはあご髭が青々としていたり。でも、優れた筋力と、女子選手ならではの身軽さしなやかさで、跳躍ものでは世界記録連発!(イシンバエワも真っ青!)・・・・。

 ごめんなさい。真摯にスポーツに取り組んでいる皆さん、これからも真っ直ぐ自分と向き合い、自分の可能性を広げていってください。ただ、ドーピングの知識がなかったために、例えばちょっと風邪薬を飲んでしまったせいでドーピング検査に引っかかったということが、過去のオリンピックの舞台でもあったということをお忘れなく。
 繰り返して言うけれど、ドーピング問題というのはこれからもなくならないと思う。あなたが世界の同じ舞台に立って戦うのは、もしかしたらアンフェアな選手なのかも知れない。その時、最後に信じられるのは、自分自身の心なんだね。
 室伏選手は、金メダルを持っていなくても、オリンピアに選ばれたアスリートだと思った。

  真実の母オリンピアよ
  あなたの子供たちが
  競技で勝利を勝ちえた時
  永遠の栄誉を与えよ
  それを証明できるのは
  真実の母オリンピア

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2004.08.22

夕日に向かって、走れ。

小さな身体のその人は、大きな夕日に向かって跳ぶようにして走っていた。
暑い日差しと、きつい坂とが、彼女を苦しめるけれど、
彼女はぐんぐんスピードを上げて集団を引き離していく。
彼女には誰も、追いつけない。
やがて、あの背の高い人も、力尽きて立ち止まってしまった。
その人は泣いていた。
優勝候補と言われていた彼女にも、アテネのゴールは遠かったのだ。
「強い人が勝つのではなく、勝った人が強いのだ」と誰かが言った。
小さな身体のあの人は、何を思いながらゴールへ向かっていたのだろう。
走る。走る。ただ、ひたすら。自分の力を、自分の積み重ねてきたことを信じて。
 
彼女の後ろから、ひたひたと迫る人がいる。
がんばれ! ゴールはもう少しだ! がんばれ! 走れ! 走れ!
 
想像を絶する苛酷なレースを制したのは、小さな身体のその人だった。
 
アテナイの勇者は、勝利を告げて事切れたという。
小さな身体のその人は、「幸せです」と言って、くしゃくしゃな笑顔で、泣いた。

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2004.07.25

自己責任論

福島県で沢登りに入ったグループが遭難した事故で、23日までに3人が無事保護され、1人は残念ながら遺体で見つかった。4人が入渓した白戸川は、雨が降ると鉄砲水が生じることの多い「怖い川」として地元住民には知られていたとか。・・・ということをニュースで聞いたのか、電話で話をしていた義姉が「だから山に登る人達って嫌なのよね。どれだけ迷惑かけてんだか。あなたも山登りなんてもうやめなさいよ。骨折したって言うだけで、こっちは白髪が増えちゃったんだからね。」と、言ってきた。
ちょ、ちょっと待って下さいよお義姉さん。いったい今回の骨折で、あなたに迷惑をかけましたか? しかもこの骨折と山登りとは全然関係ないじゃないですか。お義姉さんが気に入らないのは、御自身の安穏とした環境を脅かそうとする因子が、身近に(だけど遠巻きにしていられる距離で)存在するという事実であって、それはイラクで人質になった高遠さん達をバッシングして溜飲を下げた(実は卑怯な)一般大衆と一緒なんじゃないですか?!
・・・なんてことを思ってしまった。ちょっと言い過ぎ。ごめんなさい。でもだから、山に出かける時は、こっそり誰にも知られずに、行って帰ってきたいなぁ・・・なんて思ったりもしてしまった。
誰も、山に死にに行くために登りに行くんじゃぁないよ。でも、時には帰れなくなることもある。それは、仕方のないことだと思うんだ。山で死ぬのは、いけないことなのかなぁ・・・。(・・・じゃぁおまえの死体を片付ける人のことを、考えてみろよ、だよね。・・・。)
ちょっといろいろ考えていて、でもやっぱり、野口健さんのWebページで読んだ以下の言葉で、まずは体力作りと準備だなぁと思った。そして説明責任かぁ。俺に足りないのはそこだな。いつも諸先輩方に言われているけれど、HPを作っているのにレポを作らないままでいるのは、登山家としての説明責任を果たしていないことになるかもね。骨折している場合じゃないね。

  昨今、「自己責任」という言葉が独り歩きしている。
 自己責任の名のもとに若者がチャレンジをためらうよう
 な空気を作ってはいけない。何をもって自己責任なのか。
  私は、自己責任とは、自身の決断と結果について、誰
 のせいにもしないということ。そして不測の事態が起こ
 らないように徹底した危機管理を行うということである
 と思う。そしてそれでも万が一、不測の事態に陥った場
 合、それに対する説明責任を果たす必要があるというこ
 とだ。換言すれば自己責任とは人としての尊厳ではなか
 ろうか。これはアルピニストとして、また一人の人間と
 して私が最も大切にしているものである。
http://www.noguchi-ken.com/message/b_num/2004/4_0427_a.html

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2003.10.25

母さんのこと。

 体の小さい人だった。
 今思うと、声を出して笑ったことのない人だったかもしれない。静かに、でも顔中で笑っていた笑顔が目に浮かぶ・・・。苦労や我慢の多い人生だったんだろうなと思う。楽しいことって、何だったんですか? まだ話が出来る時に病院へ行った際、ベッドの上の母さんに「いいことなんて何にもなかったのに、最期もやっぱり、こんなに苦しいんだもん・・・。」とポツリと言われてしまって、涙をこらえるのに必死だった俺。「そんなことないよ。これからきっと、いいことあるんじゃん。」なんとかそう言ってみたけれど、その言葉は結局、嘘になってしまった・・・。看護婦さんに悪いからって、どこか苦しくても決して看護婦さんを呼ぼうとしない人だった。それで最期は、本当に一人で、静かに亡くなったんだって後から聞いた。苦しくても苦しいって言わない、ちょっと意地っ張りな人だった。馬鹿だなぁ、母さん。そうしてたぶん、自分の人生の引き際というのをよく心得ている、侍のような人だった。食事を摂らなくなってすぐに、スーッと、逝ってしまった。・・・。
 母さんの葬儀には花がたくさん届いて、それを眺めているだけで涙が出た。花の好きな人だったから。母さんは、大げさなのは嫌よと言ったかもしれないけれど、葬儀はとても、いい葬儀だった。田舎のお葬式で、その地区の慣習に則って、お寺に入る前に葬列を作って皆で境内の外を練り歩いた。近所の人がエプロン姿で野辺に立って、合掌して葬列を見送ったりしてくれていたよ。秋晴れのいいお天気だった。

 母さんが亡くなってひと月が過ぎ、さすがにくよくよもしてないけれど、出来の悪い息子で本当に最期まで心配ばかりかけてしまってごめんなさい、という思いでいっぱいだ。母さん、母さんは幸せだったんですか?
 最後に「お母さん」と、声に出して呼びたかった。・・・
 体の小さい人だったけれど、俺にとっては大きくて大切な人だった。

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2002.01.27

神様がくれた時間。

 例えば地図の点と点を結んで線を引き、えいやって計算すればたいていは歩けるような気がした。怖いくらいに、自分の足が信じられた。それはまるで、自慢の魔法の翼だったかもしれない。
 「君は急ぎすぎ。」「平井さんは生き急いでる。」そんな言葉を、たくさんの人がかけてくれた。ピピピッ。ピピピッ。しかし前から、アンテナの足りなかった自分は、その結果として自慢の魔法の翼も折れて、力、尽きた。・・・たくさんの人に、迷惑をかけた。・・・もう、登れないのかな。・・・いろいろな思いでへこんでいた。
 そんな自分を救ってくれたのは、やっぱりたくさんの人たちだった。・・・。支えられているんだって、思った。会ったことのない人からも、自分よりずっと年下の人からも。・・・。みんな、どうもありがとう。人への思いやりは、その人の生きる勇気にもなるんだね。そして、こんな言葉をくれた人も。

   神様は、時として人生のいろいろな時期に時間をくれます。
   「人生をしっかりと考えるように」と言う意味なのでしょう。
   その人が否が応でも考えなければならないような状況まで設定してくれるのです。
   神様がくれた時間の意味に気が付かないといけないからで、
   それは普通にしていては、なかなか気付かないものだからなのでしょうね、きっと。

 神様がくれた時間。・・・。急ぐな、急ぐな。自分の人生を、しっかり考えよう。自分の人生を、ゆっくり、生きよう。魔法はもう、必要ないね。 (T島先生、また山に、登りましょうね。ありがとうございました。)

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2001.12.20

何者でもない。

 どうして自分は旅に出るんだろう。その理由を考えていた。アルゼンチンの混乱はすぐには治まりそうにもないし、もちろん山は逃げないし、田舎の年老いた両親には心配をかけるだけだし、・・・。理由を見つけようとしていて、そんなものはないような気がしてきた。「自分は、何者でも、ない。」強いて旅に出る理由を挙げるなら、そんなところか。何者でもない自分は、このまま家にいても、何者でもない。かと言って、出かければ何かに変われるかというと、そうでもないことはわかっている。それでもただ、自分らしいことをしてみようと、そう思った。
 今回の旅は、実は怖い。ただでさえ、未知の世界への挑戦なのに、テロ事件の影響のことがあるし、さらに追い打ちをかけるようにしてアルゼンチンで暴動が起こった。何でこんな時に? みんなはそう思うかもしれないけれど、自分の中ではずいぶん前から準備して、(キリマンジャロさえ、このためにあったと言える。)あとはもう、全て自分の責任で、出かけて行く。でも、旅の準備をしていて、なんだかちょっと悲しくなってきたりもした。「自分は、何者でも、な い。」そんなことを思うのは、なんて勝手なんだろうと思った。こんな自分を本当に心配してくれる人もいて、その人たちの不安や葛藤を思うと、申し訳なくて悲しくなってきた。ごめんなさい。それでもやっぱり、俺は旅に出ます。
 たくさんの人に支えられているんだなぁって思う。出会ったことのない人さえ、心の支えになってくれたりする。
 ありがとう。一人じゃないんだって、気がします。

 それでも、今回の旅の原点は、自分は、何者でもない、というその思いなのです。その思いが、頭の中をグルグルと暴れ回って、血液の中を駆けめぐって、身体を、突き動かす。・・・。痛い痛い。でも、負けないぞ。

 自分は、何者でもない。

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2001.09.30

Vulnerableな私たち。

 アメリカでの同時多発テロ事件に関しては、何か書かなくちゃなぁと思いつつ、なかなか考えがまとまらず、書けないでいる。考えがまとまらない? いや、そうじゃなくて、現状がよく見えてこないから、はっきりしたことが言えない、のかなぁ。(小泉首相も、アメリカがどんな軍事行動に出るのか、知らされていないんじゃぁないのかなぁ。)それとも、何か書くと、たぶんアメリカ批判になっちゃいそうだから、自分は躊躇してるのかな。・・・。
 もちろんあの事件は、あまりに凄惨で、許すべからざる暴力行為だ。真犯人は、法の下で裁かれなければならないし、こんなことが二度と起こらないように、世界中の人が、命や平和の大切さを痛みとして考え直さなくてはならない。・・・。ほらね、なんかへんてこだ。本当に言いたいことはもう少し違うことのようなんだけれど、ここまで(喉のこの辺まで)出てきてて、形にならない。ただ、小泉内閣、なんだか怪しいぞってことは最近感じるよ。
 アメリカは、今や世界はアメリカを支援する国か、テロ分子かの二つしかないって言い切っているけれど、テロにはもちろん反対で、ただアメリカもおいおい大丈夫かよって言える第三者がいなくっちゃぁ、いつまでたってもこの憎しみ合いは、終わらないと思う。(最初に小泉さんが、「これは民主主義に対する挑戦だ。」と言った時点で、俺は、え〜っそうなのかなって思った。俺が最初に感じたことは、恐ろしいまでのアメリカに対する憎悪の爆発だ、てことだったから。)日本の役割って、アメリカに同調することだけではないと思うんだ。「あらゆる兵器を使って作戦を実行する」ってブッシュ大統領は言っているけれど、そのことを小泉さんは、(アメリカによる核攻撃を受けた唯一の国の首相として)なぜ、諫めなかったんだろう。(テロに反対する姿勢を示すことと引き替えに、無軌道な核実験を行ったパキスタンに対する経済制裁を解くなんてこととが、同じレベルで考えられてはいけないって、それは新聞の投書で中学生でさえ言ってたんじゃないかな。)核兵器だけの問題じゃぁなくて、例えば今、アメリカがじゃんじゃん使っている劣化ウラン弾の問題はどうなの? 湾岸地区でも、旧ユーゴでも、武器を使った兵士や一般市民が被曝して、障害を持った子供も生まれているらしいということ、その辺の所も調べましょうよって、・・・。言えないかなぁ、やっぱり。言えないかぁ。
 テロにはもちろん反対だよ。そして、へなちょこって言われても、軍事制裁という暴力にも反対だ。

 Vulnerabilityという言葉を、新聞記事の中で見つけた。(「ボルネラビリティ・脆弱さ」とあったけれど、正しい発音は、バル・・かな。)日本語では「もろさ・もろい」、と言うのがそれに近いのかなって思って、もろいなら、fragileって言葉もあるなぁと、思った。
 実はちょっと前に友達が、今回のテロ事件を受けて勤め先の会社でも爆弾騒ぎがあったとかで、「自分自身の人生も実はものすごくVulnerableなんだって思いました。」と、メールを送ってくれていた。外資系の会社に勤めるその人が、Vulnerableのうまい日本語が見つからないって言ってたもんだから、ちょっと辞書で調べたりしてたんだ。
 「Vulnerable」は、ラテン語の「傷つける」という意味から来た言葉だそうで、「(要塞などが)攻撃されやすい」というのが、元々の意味みたい。前出の友人も、「さらされている、という意味の弱さかな」って、教えてくれた。もちろん、weakとか、fragile、frail、feebleなんかとは、ニュアンスの違う言葉だ。
 そんなことを考えると、強い・弱いを表す日本語の語彙って少ないなぁって、思ったんだ。日本人って、強いとか弱いとかをあまり意識する民族じゃぁないんだろうなぁって思ったり。
 日本は、耐える文化だよね。耐える、堪える(こらえる)、忍ぶ、凌ぐ、堪える(こたえる)、堪る(たまる)・・・。英語では、例えばstandにしてもresistにしても、我慢するというより抵抗するって意味が強い気がする。(endureにも、そんなような意味はあるのかな。)
 耐えるのは、積極的な強さではないけれど、それは弱さじゃぁ、ないよね。ガンジーが唱えたのも、非暴力不服従だったことを考えると、農耕民族と、狩猟民族との、文化、意識の違いなのかなぁって、思ったりする。だから、アジア民族としての答えの出し方って、あってもいいと思うんだよなぁ。(けど、インドも、核実験はしているけどね。)

 この間の、テロ事件の追悼番組で、スティングが「fragile」という歌を歌ってたっけ。
 How fragile we are. How fragile we are. 
 そして今、How vulnerable we are. なんてことを切実に肌で感じる時代を、僕らは、生きてるんだ。

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