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2012.09.15

平和の祭典のあった年に

 なめとこ山通信 31

  皆さん、こんにちは。真夏日の続いた暑い夏を、皆さんいかがお過ごしになりましたか?
 ところで、暑かったのは気温のせいだけではなかったかもしれませんね。今年は、四年に一度のオリンピックイヤー。日本人選手の連日の活躍で、応援にもついつい熱が入ったことと思います。寝不足の夜も多かったのではないでしょうか。今回のロンドンオリンピックを観戦していて、マイナーだった競技にも着実に世界と戦える若い選手が育ってきていて、メダルを獲るまでになったんだなぁということを感じました。そういうのは、スポーツ教育の成果なのでしょうか。卓球、フェンシング、アーチェリー、重量挙げ、・・・。そして気がつくと、女子選手の活躍が目立ったということも言えますね。サッカーなでしこジャパンを始め、女子バレーボール、柔道やレスリングのメダリスト達、印象に残ったのはやはり女性陣の方だったかなぁ。日本の女子力、あっぱれでした。

 とまあ、そんなふうに浮かれた気分で8月の半分くらいを過ごしたのですが、五輪が閉幕してすぐ、私たちの耳に飛び込んできたニュースは、平和の祭典に象徴されていた世界とは真逆の現実であり、そうした世界が今まさに存在しているのだということを思い知らされることになりました。
 8月21日、紛争の続くシリアを取材していた日本人女性ジャーナリストが、現地の戦闘に巻き込まれて亡くなったのです。ロンドンオリンピックでは、純粋にスポーツで競い合おうというアスリート達が、204もの国と地域から集まりました。シリアからも10名の選手が参加していたそうです。また、今回のオリンピックで初めて、全ての参加国から女性の参加があったオリンピックになったということでした。イスラム圏の女性アスリートが、ヒジャーブやブルカと呼ばれる肌を隠す布を身に纏って競技に参加していた様子も話題になりました。そういう、どこか華やいだ話題から、一気に冷水を浴びせられて目が醒めた感じを、「女性ジャーナリスト殺される」という報道から、私は受けたのでした。
 ところで、シリアがなぜあんなにも悲惨な戦闘地域になってしまったのかを、皆さんは上手く説明できますか? 私はできません。「イギリスのシリア人権監視団によれば、2012年7月末の時点で、2万人以上が死亡したとされている」とか、「国連では、もはや死者数の推計は不可能と判断された」などと、ネット上では言われています。そこには、シリア国内の独裁体制に対する不満の爆発や、宗教上の対立のみならず、やはり原油をめぐる経済戦争といった意味合いも含んで、さらには周辺国や様々な国の思惑も干渉して、紛争を全く収拾不能にしてしまっているようなのです。

 この時私は、本当の意味での国家の「独立」とはどういうものなのか、「孤立」しない外交策とはどのようなことか等々、様々に考えたりしていたのでした。「独立と孤立」について。
 この夏休みに私は、教えているクラスの生徒A君に、論文の宿題を出しました。A君は特別支援学校に通う高校2年生ですが、大学受験を考えており、ちょうど私のところへ慶応大学から、「全国高校生小論文コンテスト」の募集要項が送られてきていたので、400字詰原稿用紙15校以上というなかなかハードな応募規定ではありましたが、A君とも相談して、頑張ってこの論文コンテストに応募してみることにしたのでした。論文の課題は五つの中から選択するものでしたが、私は迷わず「“独立と孤立”で書こう!」とA君に提案して、A君にも了解してもらったのでした。
 A君は、車椅子の高校生です。勉強をよくしてくれる優等生ですが、たぶん家では、ゲームに夢中になっている普通の高校生です。A君の病名は、筋ジストロフィーです。「独立と孤立」という論文課題でA君がどんな論文を書いてくるか、というよりもっと積極的に、酷であるかもしれないけれど、A君がどれだけ自分の自立や独立の問題を見つめて論文を書き上げることができるかどうかを、私はA君と一緒に挑戦してみたかったのでした。
 A君は最初は、やっぱり15枚も書けないと、音を上げてしまいました。それで、「独立と孤立」という論文を、いくつかの切り口で分けて書いてみようと、私はヒントを与えました。一般的な社会の中で、「独立」や「孤立」とはどういうものとしてとらえられているか。そこにはどんな問題があって、解決策にはどんな方法が考えられるのか。そしてやはり自分(A君)にとっての「独立」や「孤立」とは、どういう意味があるのか。そこには(障害者の自立を阻害しようとする)社会の問題と絡めてどんな障壁が立ちふさがっているのか。自分はそれをどう乗り越えていくのか、・・・そんなことまで論じられたら素晴らしいよと思いました。
 夏休みのある暑い日に、A君と約束して図書館で待ち合わせをし、何か参考になる本はないかと、二人で探しました。結局、A君が借りていった本は、稲葉陽二「ソーシャル・キャピタル入門 孤立から絆へ」(中公新書)という新書本でした。稲葉氏は、「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」という基盤を築けば、今日問題とされる「孤立」は防げるといいます。稲葉氏の言う、ソーシャル・キャピタルとは、お互いの「信頼」であり、「互酬性の規範」であり、すなわち「ネットワーク(絆)」なのだということです。
 夏休みの終わりになって、ほぼ出来上がったA君の論文は、稲葉氏の論を随所に取り入れて(引用して)、というものにはなりましたが、それでも原稿用紙15枚以上の力作となりました。A君は、ソーシャル・キャピタルの基盤も大切だけれど、例えば、高校を卒業してその基盤を一時的になくしたとしたら、自分は何を頼りに独立すればよいのだろうかということを、A君なりに考えたようでした。そして出してきたキーワードが、「自分の殻を破る」ことでした。常日頃、声が小さいとか、もっと積極的に、などと指導の受けることの多かったA君ですが、やはり自分から変わっていかなくては、「自立」や「独立」はあり得ないということを感じていたのでした。
 慶応大学に応募しようと思っていた論文は、最後の最後、清書を進めている段階でA君が体調を崩し、締め切りに間に合わなくなって、結局提出はできませんでした。15枚以上の原稿をボールペンで写し直すだけでも、A君には数日かかる大仕事なのでした。けれどとにかく、頑張ろうと思って書き上げたこと、たいへん立派でした。

 「独立と孤立」について、私自身の場合についても考えた夏でもありました。A君とともに学べたことに、感謝しています。

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