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2009.11.25

パタゴニアの思い出

 なめとこ山通信 20

 皆さんこんにちは。12月になりましたね。私事ですが、11月は原稿の締め切りそっちのけでバタバタした毎日を送ってしまいました。(結果、会報の発行を遅らせてしまいました、申し訳ありませんでした。)勤め先では学園祭があり、家庭では娘の誕生日というイベントが、やはり11月の下旬にありました。娘は2歳になりました。この会報で「瑠璃色の地球」の話をしてから、そろそろ2年が過ぎるのかぁ・・・と、感慨深い思いがします。
 まだ2歳の娘ですが、誕生日には何かプレゼントをと思い、奮発して、パタゴニア社の白いフリースジャケットを買いました。実は、その服には成人男子用のシリーズと、キッズ向けのシリーズとが用意されているのですが、両方購入して、私はなんと柄にもなく、娘とのペアルックに挑戦しました。きっと、今しかできないことでしょうから・・・。形や種類が同じものを見つけては、無邪気に「いっしょ、いっしょ」と言ってくれる娘のことが、今は本当に愛しくて仕方ありません。(すみません、親バカ丸出しで。その服には、母さん用のシリーズはなくて、少々ブーイングも出ています。)

 さて、「パタゴニア」というブランド名ですが、その由来を皆さんはご存知でしょうか。「パタゴニア」とは、ロゴマークのデザインとなった南米アルゼンチンのフィッツロイ山系のあるパタゴニア地方の名前から採られています。会社のHPには

 パタゴニアという言葉は「ティンブクトゥ」や「シャングリラ」と同義語、つまりはるか彼方の、地図には載ってないような遠隔地というイメージがありました。パタゴニアという名前は、私たちの心に「フィヨルドに流れ込む氷河、風にさらされた鋭い頂き、ガウチョ、コンドルが飛び交う空想的な風景」を呼び起こします。「パタゴニア」は私たちにとって素晴らしい名前であり続け、さらに「パタゴニア」はどの国の言葉でも簡単に発音できる単語でもありました。

 とあります。作家、椎名誠さんのファンなら、椎名さんに『パタゴニア』というエッセイがあるので、「パタゴニア」と聞けば服のブランドよりも先に、「あぁ、あの辺境の地か」と思い浮かぶかもしれませんね。実は私も、人類が最終的に到達した冒険の終着地「パタゴニア」に興味があって、彼の地を旅したことがあったのでした。

 今から14年前、私は私立高校の講師をしていて、春休みもたっぷりあった時の話です。約2週間かけて、チリ側のパイネ国立公園というところを旅しました。パタゴニア地方は、南米大陸の南端のアルゼンチンとチリとに跨る部分で、私は、雑誌か何かで、「パイネの塔」という山の写真を見て、それを見に行きたくなって、チリ側のパタゴニアを訪れたのでした。(後からわかったことですが、「パタゴニア」のロゴマークのフィッツロイ山系は、アルゼンチン側パタゴニアの方にあります。ただ、当時の私はファッションに無頓着で、服のブランド「パタゴニア」のことなど、気にもしていなかったかと思います。)
 飛行機を何本も乗り継ぎ、さらに何時間もバスに揺られて、やっと辿り書いた地の果てパタゴニア、フェルト・ナタレスという街。そこで私はドイツ人男性、ヨハネスと知り合い、暫く一緒に旅することになったのでした。(この数ヶ月前に、パイネ国立公園内で日本人が滑落事故を起こして死亡しており、それ以来、単独のトレッキングには入園許可が下りなくなっていたのも、ヨハネスと行動を共にした理由の一つでした。)ヨハネスとは、同じレフヒオ(避難小屋のことで、山小屋のようなものです。)に2泊して、一緒にワインを飲みながら夕食をともにし、色々な話をしました。ECのこととか、日本の女の子のこととか、環境問題とか、自然破壊についてとか・・・。ヨハネスは酒にあまり強くはないらしく、酔ってくると「どうして日本はよその国の木を切るんだ?その木で使い捨ての箸を作っているだろ?」などとからんできました。私もあまり英語は上手に話せないので(二人の会話は英語)ただ神妙に聞き役でいました。それでも別に喧嘩になるわけもなく、酔ったヨハネスがこんなふうにぼやいていたのを覚えています。「たかし、ドイツでもやはり問題は同じなんだ。森がどんどんなくなっているんだよ。ここパイネも、100年後には、いや、50年後には、この緑は、残っているのかなあ・・・。」パタゴニアは年中風の強い土地柄で、だから風の強い日には、あの時あそこであんなことを話したっけなぁということを、思い出したりもするのです。

 パタゴニアで出会った忘れられない仲間が、もう一組あります。ヨハネスと別れて、今度はテント泊の旅をする時に行動を共にしてくれた仲間、ジュローム達です。リーダー格のフランス人ジュロームと、チリ人のセルジオ、レンゾ、ヘクトルという4人組パーティーの彼らとは、焚き火をともに囲み、地図にない道を歩き、マテ茶を回し飲みし、夢のような数日間をともに過ごしました。そして、念願のパイネの塔も、一緒に見に行くことができました。ジュローム達も私と同世代で、だからそれぞれ、そろそろちゃんと働こうかなとか、同じようなことで将来に漠然とした不安を持ってもいたのでした。ジュロームは、「ここが好きだから、ここで働きたいんだ。」と、自分の思いを語ってくれました。仕事を見つけなければいけないこと、ビザを取り直さなければいけないことなど、問題は色々だけれど、きっとまたパイネに戻ってくるんだと、話してくれたのが印象的でした。

 

帰国後、そのジュロームから葉書が届きました。そこには簡単に、引っ越したことや英語教師をしていることや、相変わらず、またパイネに行きたいなどと書かれていました。そして最後に、こんなことが綴られていました。

Life is sometimes rather tough,but we ought to strive in order to achieve one's wishes and dreams.
(人生ってどちらかというと しばしばしんどいけれど、僕らは夢と希望をつかみ取るために、努力しないとね。)

 地球上の、たぶん一番遠いようなところから、こんな葉書が届くことに、あの頃はとても胸が熱くなったものでした。

 娘と同じパタゴニアの服を看て、久しぶりにパタゴニアを旅した時の気持ちを思い出してみました。そして、ジュロームのあの葉書の言葉も。自分は今、夢をつかみ取るために、どんな努力をしているかなと、振り返るのに良い機会となりました。

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