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2006.04.13

記憶って何だろう。

 先日見に行った映画の原作本『博士の愛した数式』(小川洋子・著。新潮文庫。)を読み終えて、あらためて記憶って何だろうって思った。
 物語には、記憶が80分しか持続しない数学者の「博士」が登場する。博士は、自分のその特異な病気を認識するために(忘れないように)、背広の袖に「ぼくの記憶は80分しかもたない」と書いたメモを留めてある。たとえどんなに大切な人であっても、(買い物に出るとかで)会わないでいる時間があり、80分過ぎてしまって(買い物から)その人が戻った時には、博士にはその大切な人が初対面の人となってしまうのだ。・・・考えると、なんて悲しいことなんだろうって思ってしまう。大切な人との想い出を、何一つ重ねていけない人生だなんて・・・。
 自分も、物忘れのひどい時があるけれど(あは。)、覚えていたはずなのに〜・・・という感覚と、記憶がまっさらになってしまうのとでは、まったく違う。実は、自分は発作持ちで、(と言っても、今は発作は薬でほぼ抑えられているけど。)発作から意識が戻ってからの数分間に、記憶の抜けてしまった状態というのを経験したことがある。気が付くと救急車の中で、救急隊員に「わかりますか? お仕事は何ですか?」と聞かれても、わからない。(自分の勤め先を忘れている。てか、知らない!)まず、日にちがわからなくて、不安になる。けれどなぜか、自分の名前だけは覚えていた。それは、忘れているのとは違って、もっとなんて言うか、ホワイトアウトの霧の中を彷徨うような、真っ暗な夜に深い深い陥穽に延々と落ちていくような、そんな感覚だった。(自分の場合、記憶はすぐに戻ってきたけれど・・・。すぐに、と言うか、それはまるでパソコンが起動するように、少しずつ頭の中で電気信号が交わされていく瞬間だった。)
 自分が自分でいるってことは、そもそも記憶を積み重ねていくことでもあるんじゃないだろうか。全く記憶をなくしてしまったら、自分はただの生きる箱でしかないのでは? ほんの少しでも記憶を喪失してみれば、そういう不安に駆られるものだと思う。アイデンティティーとは、記憶の蓄積によって作られるものなのだろうかと。
 でも、『博士の愛した数式』を読んで、博士の病気を哀れに悲しく思うよりも、もっと、優しく愛おしい気持ちになれたのはなぜだろう。・・・人ってやっぱり、人と人との関係の中で自分を見つけ、自分を作っていくものなのかもしれない。
 『博士の愛した数式』。博士と、家政婦の「私」、そして私の息子(タイガースファンで、頭のてっぺんが平らなことから博士により「ルート」とあだ名された小学生。)の三人が共に過ごした日々の物語。映画と原作本とでは、少し内容が違っていたけれど、どちらもなかなか素敵だった。お薦めです。

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コメント

それまでの人生がどうであれ、記憶は、その人がそれまで生きてきた証であり、やはり普段、「忘れっぽくなったなあ」などとけっこうお気軽に考えているけれど、やっぱり生きていく上で人間が生き続けていく上で、一番大切な部分なのだと思います。
僕がくも膜下出血で倒れ、意識を取り戻して最初にした作業はやはり、無意識のうちに自分の記憶をたどることでした。
頭が痛くて仕事を休んだのは何曜日?倒れたのは午前か午後か?もしも意識を失っていたのが1日ならば、今日は何曜日?
自分の手足が動くかどうか気になったのは、その無意識の作業を終えた後のことでした。
それほど、記憶というものは、人間にとって大切なものなのだと思います。
まあ、僕の場合、意識が戻ったのが水曜日だったと確信した途端、死を覚悟して対面した家族に、集中治療室で最初に言った言葉が、「今日は水曜日だから、少年マガジン買ってきてよ」という、何とも間の抜けた一言のなったのですが。
でも、死の淵から戻ってきて、脳が最初に行った作業が、四肢の点検ではなく、記憶だったことからしても、やはり「記憶」というものは、人間が生きていく上で、一番大切な部分なのではないでしょうか。

投稿: 潤平 | 2006.04.15 19:58

潤平さん、こんにちは。貴重なお話、ありがとうございました。
記憶というものについて考えるにつけ、私もやはり、それが生きていく上で大切な部分だと思います。そしてそれ故に、もし記憶をなくしてしまったらということを思うと、とっても怖くなったりするんです。(僕らは既に、どこかで部分的にはスッパリ記憶をなくしていたりもしてるわけですが。)また発作が起きたらとか、また脳障害にかかったらとか、あるいはいつか年をとって、記憶障害のような病気になったらとか・・・。
記憶の積み重ねによって、人は内側から自己を確立させていくのだと思いますが、それと同時に、外側の、社会的な人間関係によっても、人は作られていきます。いえ、そんな難しい言葉にしなくてもと、なんとなく、気付いたんです。
自分の拠り所としているところは、どこだろう。過去に縋らなくても、自分は生きていけるだろうか。生きているこの真っさらな今から、歩き出せるだろうか。・・・。
「大丈夫です。心配いりません。」そう言って、肩に手をのせてくれる人が側にいてくれるということは、もし記憶を失ったとしても、それだけで生きる支えになるだろうなと思ったんです。・・・いえ、あの、小説の、博士と家政婦さんの関係のことですよ。はは。
記憶って何だろうなぁ〜ってことは、たぶんずっと、思い続けていくような気がします。けれどだんだん、気にならなくなっていくのかな。・・・きっと、ぼけちゃうだろうから。あはは。

投稿: 山ヤ | 2006.04.16 22:31

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