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2001年12月

2001.12.20

何者でもない。

 どうして自分は旅に出るんだろう。その理由を考えていた。アルゼンチンの混乱はすぐには治まりそうにもないし、もちろん山は逃げないし、田舎の年老いた両親には心配をかけるだけだし、・・・。理由を見つけようとしていて、そんなものはないような気がしてきた。「自分は、何者でも、ない。」強いて旅に出る理由を挙げるなら、そんなところか。何者でもない自分は、このまま家にいても、何者でもない。かと言って、出かければ何かに変われるかというと、そうでもないことはわかっている。それでもただ、自分らしいことをしてみようと、そう思った。
 今回の旅は、実は怖い。ただでさえ、未知の世界への挑戦なのに、テロ事件の影響のことがあるし、さらに追い打ちをかけるようにしてアルゼンチンで暴動が起こった。何でこんな時に? みんなはそう思うかもしれないけれど、自分の中ではずいぶん前から準備して、(キリマンジャロさえ、このためにあったと言える。)あとはもう、全て自分の責任で、出かけて行く。でも、旅の準備をしていて、なんだかちょっと悲しくなってきたりもした。「自分は、何者でも、な い。」そんなことを思うのは、なんて勝手なんだろうと思った。こんな自分を本当に心配してくれる人もいて、その人たちの不安や葛藤を思うと、申し訳なくて悲しくなってきた。ごめんなさい。それでもやっぱり、俺は旅に出ます。
 たくさんの人に支えられているんだなぁって思う。出会ったことのない人さえ、心の支えになってくれたりする。
 ありがとう。一人じゃないんだって、気がします。

 それでも、今回の旅の原点は、自分は、何者でもない、というその思いなのです。その思いが、頭の中をグルグルと暴れ回って、血液の中を駆けめぐって、身体を、突き動かす。・・・。痛い痛い。でも、負けないぞ。

 自分は、何者でもない。

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2001.12.18

「自分の木」の下で

Jibunnnoki

 大江健三郎・著。朝日新聞社。何度も何度も、同じところを読み直しちゃった。すごくいい本だから、たくさんの人に実際に読んで欲しいなぁと思った。そして、大江さんが思うように、若い人に、これからどんどん大きくなる子供たちに、読んで欲しいなぁと思った。それで、定時制の学校では、教科書のかわりに使ってみたりもしているんだけれど。・・・。本当に読んで欲しい生徒は、やっぱりなかなか、活字自体に対する拒否反応があるのかなぁ。それでも懲りずに、ゆっくりゆっくり、授業で使ってる。大江さんも言っているように、あとで本を読みたくなったときに、そういえばそんなのもあったっけと、思い出してくれたらいいなぁって思って。
 人にはそれぞれ、「自分の木」と決められている木が、森の高みにあるんだって。人の魂は、「自分の木」の根元から谷に下りてきて人間の身体の中に入り、人が死ねばまた魂は、「自分の木」に帰っていくのだとか。そうしてたまたま、山に入って、知らずに「自分の木」の下に立っていたりすると、年をとった自分に会うことがあるのだとか。大江さんは子供の頃、おばあさんからその話を聞いて、もし年をとった自分にあったら、「どうして生きてきたのですか?」って、聞いてみたいと思ったんだって。不思議な話でしょ。さらに大江さんは、こんなことを考えるんだ。その頃からもう六十年近くがたち、実際に生きている自分が、年をとった自分なわけだけれど、じゃぁ今、私が「自分の木」の下に行ったらどうなるか。そう、子供の自分が待ちうけていて、「どうして生きてきたのですか?」って、問いかけるんだよね。
 その問いに答えるために、大江さんが若い読者のために書いたのがこの本『「自分の木」の下で』だ。子供たちのために書いたわりには、話があちこちに広がって、ちょっとまとまりがないような感じも受けるかな。それだけ、話したいことがまだまだあるんだろうなぁって、思った。
 もし、生きることに疲れて、あるいは大きな問題にぶつかって倒れて、もうどうなってもいいやなんて思ったりしている人がいたら、どうか最後まで目を通してみてください。「(子供には)取り返しのつかないことはない!」っていう大江さんの思いが、伝わってくれるといいなって思います。
 「どうして生きてきたんですか?」と子供の自分に尋ねられたときの、大江さんの返事が、本の最後に書いてあった。静かな秋の夜にこの本を読み終えて、ちょっと目頭が熱くなったりしちゃったよ。はは。

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